特別掲載:集落営農の犠牲者

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特別掲載:集落営農の犠牲者

岩手県北上市で起こっている「貸しはがし」事件記 連載第1回

2007年の品目横断的経営安定対策スタートを前に、岩手県で集落営農組織による転作地の「貸しはがし」が表面化している。実耕作者は事前の話し合いがほとんどないまま、一方的に「契約更新せず」との通告を受けた。組織側の営農計画や資金調達策は曖昧で、行政からは経営の将来性を疑問視する声も出ている。担い手の育成・明確化を旗印とする新施策が、担い手の経営を困難にし、集落の将来そのものを危うくさせる―。制度の矛盾を解決する手立てはどこにあるのか。(秋山基+本誌特別取材班)

不十分だった「話し合い」突然の経営危機

 トラブルに巻き込まれたのは、伊藤栄喜氏(59)。北上市和賀町・北藤根集落で水稲・小麦・大豆などを栽培する認定農業者だ。現在の経営耕地面積は約25ha。このうち、4・5haが自作地で、借地が7ha、転作受託は14haある。転作の小麦・大豆は伊藤氏名義で販売しており、地権者には産地作り交付金から10a当たり1万円が支払われている。

事の経過はこうだ。今年3月下旬、伊藤氏は、集落内で水稲作業受託組織の代表者を務める人物から「一緒に集落営農をやらないか」と誘いを受けた。

集落営農について伊藤氏は「経理の一元化」「法人化への移行」「代表者への報酬の保証」の3点について疑問を感じていたという。この日は、「何を作り、どこに売るかを決めておかないと、組織の維持は難しい」などと代表者に話し、態度は保留した。約30分間の立ち話だった。

それから半年間、この件について伊藤氏には何の連絡もなかった。だが、10月6日に代表者からの電話で、集落営農組織の立ち上げを知らされ、次のような要求を受けた。

(1)組織のメンバーが委託している転作は07年3月末で契約期限が切れるので更新はしない。今後は集落営農で転作をする(2)すでに伊藤氏が秋播き小麦を播種した土地については、07年夏の収穫まで契約切れを猶予する(3)小麦を播種した農地の地割り番地を教えてほしい。

「貸しはがしではないか」という伊藤氏に対し、代表者は「作業受委託の契約切れであり、貸しはがしではない」と回答、今後は組織が自前で大豆作をするとの方針を伝えた。

取材した時点で、集落営農組織はまだ正式に発足していないが、先述の受託組織が母体と見られ、兼業農家30人が参加する。

メンバーのうち、伊藤氏と転作の受委託契約を結んでいるのは10人前後に上る見込みで、伊藤氏が耕作する転作地計6・8haと水稲の借地約1haで貸しはがしの動きが出ている。それらの中には約20年間契約が更新されてきた農地も含まれている。

約25haの経営面積のうち、3分の1近くを失う苦境に陥った伊藤氏は深刻な表情で言う。

「兼業農家が嫌がる転作を引き受け、信頼を築きながら、なんとか規模拡大してきたが、このままだと、経営が成り立たたなくなる。専業農家が集落営農につぶされるとすれば、大きな矛盾だ。他の地域でも犠牲者が出るのではないか」

県は「貸しはがし」を認定 なぜ防ぐ手立てがないのか

品目横断的経営安定対策のポイントをまとめた「雪だるまパンフ」には「集落営農の組織化に当たっては、これまで規模拡大努力を図ってきた認定農業者等の規模拡大努力を阻害すること(いわゆる「貸しはがし」)のないよう、地域の関係者間で十分に話し合いを行うことが重要です」と明記してある。「意欲と能力のある担い手に対象を限定し、その経営の安定を図る」という施策の趣旨にのっとった一文だ。では、機械化や土への投資を長年続け、上物を自分名義で販売してきた伊藤氏への要求は、貸しはがしに当たらないのか。施策の趣旨から逸脱していないか。

地元・北上市は「作業受委託の契約切れで貸しはがしではないと聞いているが、話し合いは集落に任せており、詳細を把握していない」(農政課)と当事者能力を示せないでいる。

また、本来は調整役である北上市農協は「記事にするのなら何も話さない」と頑な態度で取材を拒否した。

だが、岩手県の反応は違う。農林水産部の担い手対策担当者は「この例は貸しはがしだと思う」と明言した上で、こう話す。

「今起きていることは施策の趣旨と逆行しかねない。大規模農家が今まで通り規模拡大していくのがふさわしく、頑張っている担い手が集落営農に足を引っ張られては元も子もない。村壊しにつながりかねない」

そもそも、北藤根集落周辺は法人や伊藤氏のような個人の担い手が育っており、「集落営農を無理に組織する必要はない」というのが県の見方だ。パンフでも集落営農を「担い手なき集落からの脱却!!」としている。

やはり最大の問題は、農水省が貸しはがしを明確に定義せず、防ぐ措置も用意されていないことだ。組織側と伊藤氏の間で手詰まりに陥った県担当者は「なんとか双方で話し合いを進めて、解決策を見出してほしいのだが」と苦しい胸の内を明かす。

この集落営農組織について、現状で把握できていることがいくつかある。前出の代表者の本業は建設業。事務局長は北上市農協の現職組合長が務める。このほか、市職員(元農政課長)、元議員の親族らも含まれている。いわば地域の有力者を中心に構成されたグループだ。

もともと水稲の受託組織であるため、面積は水稲だけですでに20ha以上を確保している。つまり、伊藤氏から転作地をはがさなくても、集落営農の要件を満たしている。

筆者の取材に対し、組織の代表者は「契約が切れたら返してもらうのは当然」と貸しはがしを否定。自前で転作をすることについては「機械の有効利用」を理由として挙げ、「集落が一丸となって大豆を作る」と話した。その一方で「担い手と集落営農は別問題。集落営農は担い手を確保するためではなく、個人で農業を続けられない人たちが先々困らないためにやる」と語るなど、施策の趣旨を曲解するような発言もあった。

事務局を務める農協組合長も同様の理由で貸しはがしを否定し、自前での転作については「大豆を作らなければ、品目横断の制度には乗れない」と主張した。さらには「どこのJAでも集落営農は必要だと考えている。集落には、早急に制度に乗って損をしないように有利にやっていきましょうと説明している」と、あからさまに内情を語った。

現在、組織は大豆用のコンバインや作業機を保有していない。新規購入すれば、借金スタートは必至だが、「大変だけど、借金するしかない」(代表者)「補助金を申請すれば安く収まるし、他から借りる方法もある」(農協組合長)といかにも楽観的だ。北上市の場合、現状では転作を受託する担い手に産地作り交付金が3万4000円加算されている。まさかそうした助成のみを当てにした組織化ではないだろうが、経営見通しの甘さは集落内外に伝わり、一部では不安の声も囁かれている。

前出の県担当者は「経営試算が不十分なまま、単に機械を買う話だけが先行している。いきなり機械を補助金で購入すれば、非効率に走り、経営がつまずきかねない」と懸念する。県としては、組織側から機械投資目的の補助申請がなされても、受け付けない方針だという。

農業の未来を誰が担うのか

伊藤氏は水稲・大豆の種子を栽培する形でも地元に責任を果たしてきた。収穫前の大豆の条間に小麦を播種する立毛間播種を地域で最初に導入するなど、技術面の先駆者でもある。2001年には「水田農業地帯の経営モデル」としての評価を受け、「岩手農業賞」を受賞した。

当然、担い手として新施策には乗るつもりだったが、「今後はもっと厳しい時代になる」と見越していた。「後継者や研修生らと共に、現有の械力に見合った規模に拡大する構想もあった。ただ儲けるのではなく、技術を高め、誰かの胃袋を満たす。それが生き甲斐だし、農業に夢を描いてきた」

今回の問題を、大泉一貫・宮城大学事業構想学部長はこう見る。

「施策は認定農業者を担い手として育成するのが主眼で、集落営農は補足的な制度。認定農業者が経営の危機に晒されているとしたら、本末転倒だ。農水省は貸しはがしを楽観視していたのではないか」

本間正義・東京大学大学院教授はこのように指摘する。

「農政は『担い手育成』をスローガンとして掲げるが、『話し合い』を地方に丸投げするだけでは、政治力のある人たちのゴリ押しが通ってしまう。貸しはがしを解決するルールや相談窓口を緊急に作るべきだ」

時間は限られている。伊藤氏は「各地で貸しはがしが横行すれば、国民は呆れ、後継者を目指してきた若者たちもやる気を失う」と警鐘を鳴らす。担い手の矜持までもが、はがされてしまわないうちに、緊急の対応が求められている。

農林水産省の相談窓口