特別掲載:集落営農の犠牲者

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特別掲載:集落営農の犠牲者

岩手県北上市で起こっている「貸しはがし」事件記 連載第3回

去る11月30日で品目横断的経営安定対策の秋期加入申請が終了した。岩手県北上市・北藤根地区で、貸しはがしトラブルに巻き込まれた伊藤栄喜氏(59)は、秋播き小麦の作付けで加入を申請、受理された。だが、夏の収穫後、それらの農地の一部では耕作できなくなる可能性がある。認定農業者の経営基盤を失わせてまで、集落営農組織化に突き進む農協・兼業農家をなぜ誰も止められないのか。今号では、本誌質問状に対する農水省回答を検証しつつ、農政を蝕む「無責任の体系」を問う。(秋山基+本誌特別取材班)

本誌が編集長名で農水省宛てに出した質問状(10項目)の要約は以下の通りだ。

(1)「品目横断的経営安定対策のポイント」(雪だるまパンフ)に記されている貸しはがしの定義とは何か。

(2)貸しはがしの定義がなされていないとすれば、それはなぜか。

(3)今後も貸しはがしを定義する考えがないとすれば、それはなぜか。

(4)同対策の政策趣旨に沿わない形で、集落営農組織が立ち上げられたり、集落内ですでに認定農業者が規模拡大を図っているにもかかわらず、後発で集落営農組織が立ち上げられたりした結果、十分な話し合いや土地利用調整のないまま、「これまで規模拡大を図ってきた認定農業者等の規模拡大努力を阻害すること」(同パンフ)が、強引に行なわれた場合、その行為は貸しはがしに該当しないのか。

(5)担い手になる意欲がなく、またその能力が疑わしいと自治体が判断せざるをえないような集落営農組織や、認定農業者の規模拡大より後発で立ち上げられた集落営農組織が、十分な話し合いや土地利用調整を経ずに「これまで規模拡大を図ってきた認定農業者等の規模拡大努力を阻害」して、同対策の対象になることは可能なのか。

(6)本誌は農水省に対し、北上市の貸しはがしについて、詳細、具体的に伝え、松岡利勝大臣との直接取材でも質問をした。北上市の事例は貸しはがしに該当しないか。

(7)認定農業者と集落営農のとらえ方について、農水省には「認定農業者優先」と「車の両輪」という二重基準があり、そのことが土地利用を巡る問題、貸しはがしを引き起こす根本原因になっている。同対策において、優先的に対象となるのは認定農業者か、それとも認定農業者と集落営農は同格なのか。

(8)松岡大臣は北上市の事例に関し、「注意を喚起しながら対処していきたい」と語った。農水省として具体的にどのような注意喚起、対処をしたのか、あるいはする方針か。

(9)貸しはがしが起きた場合、あるいは起きそうな場合、地方自治体、農協、農業委員会等が農地の利用調整について解決策を見出せないまま、認定農業者の規模拡大努力が阻害されたり、その経営が成り立たなくなるような事態となった場合、農水省または地方農政局等に相談窓口を設け、相談を受け付ける考えはあるか。

(10)認定農業者が貸しはがしに遭いながらも、農村集落の伝統文化、慣習としての話し合いや人間関係の中で、不本意な妥協や泣き寝入りに追い込まれるケースが多数見られる。政策趣旨が農村集落の人間関係の力学の中で歪められ、あるいは一部の人たちに政策が誤解されることにより、農村集落そのものに軋みが生じかねない事態にもなっている。この点について農水省はどのような見解をもち、対処するのか。

「貸しはがしの内容、意味は様々」との回答

これに対し、同省経営局経営政策課は11月17日付で以下の通り回答した。

今後の農業の「担い手」としては、昨年閣議決定した新たな食料・農業・農村基本計画や先の国会において成立した農業の担い手に対する経営安定のための交付金の交付に関する法律において、(1)個別経営としての認定農業者のほか、(2)集落を基礎とした営農組織のうち、一定の要件を満たすものを位置付けたところであり、両者は、制度的に同列の扱いとしているところです。

しかしながら、認定農業者等が既に規模拡大を図ってきている地域において、後から集落営農が組織化される場合も多いことから、集落営農の組織化に当たっては、認定農業者と集落営農組織との円滑な土地利用調整に留意する必要があることは事実です。従って、これまで規模拡大を行ママってきた認定農業者等の規模拡大努力にも配慮しつつ、関係する農家の意向を十分踏まえながら、土地利用調整を進めることが重要と考えており、また、この問題を広く認識していただくため、通称雪だるまパンフレット等では、わかりやすさという点から、人目を惹きやすい表現である「貸しはがし」という用語を用いつつ、この旨の指導を行ってきています。

認定農業者と集落営農組織の間による農地の利用調整の実態は、地域の実情により千差万別です(単に地代の競争で負けているというようなものや、不快な言葉を投げかけられたといったようなものまであります)。「貸しはがし」と言う用語は、先に述べたように、わかりやすさという点から、人目を惹きやすい用語ですが、その用語を使う人によりその内容、意味は様々であり、この用語を使っている人の間で統一された内容、意味を持っているとは言い難い状況にあります。

認定農業者と集落営農組織の間における土地利用調整については、認定農業者や特定農業団体に関する認定手続等が法律上、市町村の自治事務とされていること等を踏まえれば、地域段階において、市町村や農地の利用調整を本来業務とする農業委員会等が行うものであり、そのような地域段階で行う農地の利用調整について、国が直接介入したり、国がいずれか一方の側に立って調整を図るようなことは、制度運用上の誤解や法令違反について必要な是正・指導を行う場合を除き、適当ではないと考えています。

認定農業者と集落営農組織の関係については、地域の農業の実態に応じて、(1)認定農業者に農地の利用集積を進める(2)集落営農を組織化する(3)認定農業者と集落営農組織で役割分担を行うなど、それぞれの地域において最善な方法を選択していただくことが重要と考えておりますが、各地において円滑に調整が行われている例も数多く存在しており、去る11月6日には、農林水産省統計・情報センターを通じて収集した事例を、分類・整理し公表したところですので、御参照いただければ幸いです。(以上)

制度そのものがはらむ二重基準

回答を読めば、農水省が貸しはがしの定義付けを避けていることがわかる。「この用語を使っている人の間で統一された内容、意味を持っているとは言い難い」とは、まるで定義がないのは言葉を使う側のせいだと言わんばかりだ。

北上市の事例では、伊藤氏が貸しはがしの被害を訴え、集落営農組織側は「転作受委託の契約切れ」を理由に、貸しはがしではないと主張している。こうした認識の違いがトラブルを長引かせているのに、回答はそこから目を背けている。

実は、農水省は11月初旬、伊藤氏と組織側に対して、「貸しはがしを正確に定義することは困難」との考え方を伝えている。これが誤ったメッセージとなり、関係者によると、組織側は「勝った」と勢いづいたという。

曖昧な対応は現場の混乱を増幅させる。同省が自ら用いた言葉を定義しない限り、問題の根本解決には至らない。定義が困難と言うが、だからこそ貸しはがしは隠微に進行するのだ。

次に、この集落営農組織の姿勢に言及したい。11月号でふれたように、組織の代表者は「担い手と集落営農は別問題。集落営農は担い手を確保するためではなく、個人で農業を続けられない人たちが先々困らないためにやる」と述べた。

組織の事務局長でもある北上市農協組合長は「集落には、早急に制度に乗って、損をしないように有利にやっていきましょうと説明している」と、いささか正直すぎる言葉で農協の都合を語った。

このように「制度運用上の誤解」をした組織が、果たして「意欲と能力のある担い手」たりえるのか。県や地元関係者が経営を不安視するような組織が、集落営農推進.の号令のもと、「必要な是正・指導」を受けずに施策の対象になってしまっていいのか。その点について、回答には明確な答えがない。

認定農業者と集落営農の位置付けについての質問は、この問題を考える上での核心をなす。回答は「制度的に同列の扱い」としている。少なくとも、この政策の枠組みの中では認定農業者と集落営農は同格ということだろう。

しかし、それならば、松岡大臣の「農水省としては、認定農家にしっかり頑張ってもらって、それでなおかつカバーできないところを集落営農で、という考え方です」という本誌へのコメントをどう理解すればいいのだろう。

あるいは、これまで農水省が「各種事業における担い手への集中化・重点化について」などの文書で説明してきた方針、つまり担い手とは認定農業者を「基本」とし、集落営農「についても」対象とするという考え方は過去の話なのだろうか。

繰り返しになるが、雪だるまパンフでは集落営農を「担い手なき集落からの脱却!!」とうたっている。それなのに、伊藤氏のような担い手のいる北藤根地区でも、認定農業者と集落営農は同列なのか。自らの経営を確立している伊藤氏が、集落のためでなく集落営農のために「役割分担」をしなければならないのか。

「制度的に同列」と言ったところで、制度そのものが二重基準をはらんでいる以上、矛盾は内包される。それが最も不幸な形で噴出し、顕在化したのが北上市のケースではないのか。

ゆっくりと動き出した農政市町村に報告を要請

質問状では、貸しはがしが起きた場合の調整機能が不備である点についても尋ねた。この間、農水省は「地域での話し合い」を唯一の解決策として示してきたからだ。

回答でも、経営政策課は「(土地利用調整は)地域段階において、市町村や農業委員会等が行うもの」と従来通りの見解を繰り返している。

では、このケースで地域は機能しているだろうか。伊藤氏はすでに北上市農業委員会に被害を報告し、助言を求めているが、その後、委員会事務局から連絡はない。

北上市は農林部長が農協組合長と面談しただけで、伊藤氏には電話の一本も入れていない。にもかかわらず、市農政課職員は組織側の役員会には顔を出し、設立準備のアドバイスを与えている。

筆者の取材に対し、市農政課は「市としては、組織化推進という国の方針に従って指導している」と釈明した。土地利用調整について聞くと、「あくまでも当事者間で話し合ってほしい。県も間に入って調整している」などと語った。

国は「市が」と言い、市は「当事者が」「県が」と言う。県の担い手対策担当者は、中立的な立場で調整に努めてきたが、最近では組織側から「県には入ってもらいたくない」と言われている。

だが、ここにきて、かすかな動きも見えてきた。

11月27日、経営政策課は各地方農政局などに宛てて「集落営農の組織化に伴う認定農業者等との土地利用調整について」という通知を出した。北上市の貸しはがしが表面化して以来、初めて同省が見せた具体的な措置だった。

貸しはがしという用語は使っていないものの、内容は踏み込んでいる。「一部の地域において、集落営農の組織化に際して、これまで地域の担い手として農業経営を行ってきた認定農業者等が地権者から農用地の返還を求められるという状況がみられる」と冒頭で断定的に説明。

「集落営農の組織化によって、規模拡大を行ってきた認定農業者等が経営基盤を失ってしまうようなことは、今後の地域における担い手の育成・確保に支障を来たす」とはっきり述べられている。

さらに、この通知では(1)市町村は、農用地の利用調整が円滑に行われていない事案が発生していないか速やかに把握願いたい(2)事案を把握した場合には、都道府県に報告願うとともに、都道府県は地方農政局に報告願いたい、との要請がなされている。

12月11日、東北農政局は本省通知を東北各県に送った。県から市町村へと連絡が下りれば、伊藤氏と北藤根の組織の間に起きたトラブルは、ようやく北上市から岩手県、東北農政局へと、公式ルートで報告されることになる。

11月下旬から、伊藤氏は圃場に堆肥を散布し始めた。来期の大豆作に向けての土作りだ。地権者が組織への加入を決めている圃場にはまだ散布できない。その分、経営計画、作業手順は大幅に狂った。貸しはがし被害は、土地の返還によって発生するのではなく、すでに始まっている。

一方、組織側は12月23日に地元で設立総会を予定している。関係者によると、加入者数は当初の見込みより少ない25人前後で、この1月にも法人登記の手続に入るという。

農林水産省の相談窓口