特別掲載:集落営農の犠牲者

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特別掲載:集落営農の犠牲者

岩手県北上市で起こっている「貸しはがし」事件記 連載第6回

岩手県北上市の認定農業者・伊藤栄喜氏(59)の貸しはがし問題は、松岡利勝農相の発言が波紋を呼び、国の方針に不明瞭さが増した。現地では、調整を模索する動きもあるものの、入り口部分で難航したままだ。2月には、東北地方の農業経営者らの間でもこの話題が議論された。自ら時代を切り開こうとする農業経営者は、地域・制度・政策とどう対峙すべきなのか。 (秋山基+本誌特別取材班)

「みんなと一緒が一番」農相は発言を撤回せず

筆者がこの記事を書いている3月中旬、一般紙やテレビの報道では松岡農相の光熱水費問題が連日、取り沙汰されている。新聞には「閣僚失格」とまで書かれ、まさに集中砲火といった雰囲気だが、農相は説明を拒否したまま。農業改革を審議する国会では、かえって意気軒昂に答弁しているように映る。

ともあれ、その問題は一般メディアに任せ、本欄では引き続き、NHK番組での農相発言に焦点を合わせていきたい。「伊藤さんが集落営農に参加すれば、これで解決する」と集落営農側に一方的に肩入れした内容は、その後も尾を引いている。

2月23日、閣議後会見で、農相と全国紙記者との間にこんなやりとりが繰り広げられた。以下、農水省ホームページから抜粋する(筆者註・漢字表記などを一部改めた)。

       

(記者)伊藤さんは、集落営農に参加したくない、自分で規模を拡大したいと努力を続けていらっしゃる。発言について適切だと今でもお考えですか。

(農相)貸しはがしとかそういった問題を含めて、解決策を私は申し上げたわけで、どちらにくみするとか味方するとかそんなつもりで申し上げたことではございません。

(記者)解決策は他にもあると思うんですけれども。

(農相)だからみんなと一緒にやるということから言うと、それが一番、一つの解決策であると。二つ足し合えば、集落営農もうまくいくし、伊藤さんのところには、もっと土地の集積ができる可能性がある。

(記者)集落営農をめぐっては、参加したくないのに無理矢理入れられるとか、参加しない方が地域で浮き上がってしまう出来事も起きていると聞き及んでいる。今の発言だと、やはり集落営農に参加するのが一義的にいいことなんだと、地域に誤ったメッセージを伝えかねない。

(農相)地域の総合力を最大限に高めていくという観点から、皆さんのご理解をいただいて、進めていきたい。人間関係もあると思う。しかし、そこを乗り越えて地域全体の将来のために、力を合わせていただけないかと、私たちも納得をいただけるような努力をしていきたい。両者が力を合わせていただければ、一番すばらしい。

(記者)農水省の方針としては、集落営農を組織する際には認定農業者などの規模拡大努力を阻害することのないようということで、促進されていると思う。

(農相)一緒になれば、まさに両方成り立つわけですよ。

(記者)一緒になる方がよいとお考えですか。

(農相)一緒になれば一番物理的にはプラスになる。困難な点があるとしたら、行政も市町村や農協も、みんなで努力をして、お互いがプラスになるようにやっていこうということを目指している。

(記者)すると、認定農業者も可能な限り集落営農に参加した方がよいというお考えですか。

(農相)ケースによって色々違うと思います、取り組みも進め方も。

(記者)認定農業者の規模拡大努力を阻害することのないようという農水省の方針に矛盾するように聞こえる。

(農相)だから阻害することはないわけですよ。集落営農という形で認定農家が主たる担い手に、その姿になっていけば、阻害どころか、もっと認定農家に農地が集積する。それは当然、阻害するわけではないんですよ。

(記者)番組の中で農水省として解決に努力するという発言もされている。何か具体的な……。

(農相)どうしたら伊藤さんと集落営農とがうまくいけるのかなという観点で、取り組みはそれぞれできるだけのことをしていると聞いております。

       

松岡農相の考えは、以下の3点にまとめられる。

1解決策としては、伊藤氏が集落営農に参加するのが一番すばらしい。

2伊藤氏が集落営農に参加すれば、双方にプラス効果があり、これは認定農業者の規模拡大努力が阻害されることには当たらない。

3国・市・農協など関係機関がともに解決に向かって努力する。

つまり、NHKでの発言は決して失言ではなく、確信に基づいていたのだ。4カ月前、本誌インタビューに対して、「認定農家にしっかり頑張ってもらって、カバーできないところを集落営農で」と「農水省の考え方」を披露しておきながら、その中身はあっさり変更されている。でなければ、農相は本誌編集長の目の前で二枚舌を使ったことになる。

「大臣の真意」取り繕う官の修辞

ところが、いやだからこそと言うべきか、会見直後、農水省は慌しい動きを見せた。同日中に、本省から東北農政局、岩手農政事務所と連絡が飛び、同事務所から伊藤氏に「(NHKでの)大臣発言について真意を説明したい。夕方でどうか」と電話で申し出があった。

その日、伊藤氏は所用があったため、翌24日(土曜日)午前、同事務所所長らが伊藤氏宅を訪問した。

「大臣の発言は個々別々のことではなく、全国にあるいくつものことを念頭に置いた発言。すべての人が集落営農に加入すればよいと言っているわけではない」

所長は伊藤氏に対してそう述べ、後日、筆者にも「その説明内容で間違いない」と語った。

だが、果たしてこれは説明になっているだろうか。農相はテレビ、会見と2度にわたって「伊藤さん」と固有名詞を挙げている。それなのに「個々別々のことではない」では訳がわからない。

しかも所長は大臣会見については「知らない」と話し、会見当日に概要が掲載された農水省ホームページも見ていなかったと言う。それならばやはり、農相が改めて述べた123を真意と受け止める方が自然だろう。伊藤氏に説明された「大臣の真意」は、会見内容と相当ずれている。

同事務所に「説明」を指示した本省では、「大臣がどうしてそういう発言をしたのか、その意味を伊藤氏に説明してもらった」(経営政策課)としている。

では意味とは何かを重ねて問うと、答えはこうだった。

「番組に伊藤さんが出ていたから、ああいう大臣の発言になったが、『全国一律に、認定農業者が集落営農に入ればいい』とは言っていない。『伊藤さんが集落営農に入ればいい』というわけでもなく、入った場合には伊藤さんにもプラスになるということ」(同)

トップがいったん口にした言葉を訂正できないのは、怺ッの無謬性揩ノ固執する役所の習癖かもしれない。しかし、大事なことは、混乱の原因を正確にとらえ、事態の収拾をどう図るかではないのか。官僚的修辞でほころびを繕うだけでは、現実を直視したことにはならない。

また、伊藤氏が北藤根の集落営農に参加すればプラスになると保証するのも、うかつすぎないだろうか。先月号で指摘した通り、組織側の事業計画は助成金と「地域の財布」を過度に当てにし、ずさんさと集団経営の非効率をもろに露呈している。「農地の集積」よりも参加するリスクの方が大きいと見るのは、プロ農家であれば当然の判断だ。

付け加えておくが、会見で農相は「貸しはがし」という言葉を用いた。農水省ホームページの「主な質疑事項」にも「土地の貸しはがし問題について」と明記された。

なお同ホームページからは会見映像も閲覧できる。

農業経営者の存在意義と経営を覆う普遍的状況

話は前後するが、2月21日から2日間、本誌読者層でもある「東北土を考える会」の総会・研修会が岩手県花巻市で開かれた。伊藤氏も出席し、貸しはがし問題について経過を報告した。

討論では、各県の農業経営者たちから様々な意見が出た。

「集落営農が担い手と認められたのは、農水省と農協の取引の結果。官僚はいかにして財務省から予算をもってくるかということと、自分のポストと自分がいる部署の人数を守ることしか考えていない。制度は制度、政策は政策であって、これに紛らわされてはいけない」(秋田県の農業経営者/主要作目=水稲)

「貸しはがしではないが、私も地権者に『後継者もいるから』と農地の返還を求められた。全然めげていない。なんとも思っていない。また別に借りる。面積が減ったら、収量増を狙う。半径100km圏内ぐらいでの借地を考えている」(青森県/主要作目=大豆)

「農地・水・環境保全向上対策の関係で、3haの作業受託を失った。残念だが、新たな農地を探す。国は農家の鼻先にニンジンをちらつかせるが、食いついたらものを言えなくなる。今後もおいそれとは国の話には乗らない。国のプランではなく、自分の経営プランを立て、国のプランでは生産現場はうまくいかないことを伝えていきたい」(宮城県/主要作目=水稲)

「農家には経営能力がないから、代わりに農業を守るというのが国の考え方。自分で経営を確立しようとする農業経営者が現われると、彼らは仕事を失う。そこが問題の本質ではないか。我われは荒波の中、自分で経営を切り開くしかない。そこにしか存在意義はない。人のせいにしたいし、補助金にもすがりつきたい。だけど、自分は何のために生まれたのかを考えると、自負と自信をもって経営するしかない。東大出の官僚たちには一粒の種子も播けない」(岩手県/主要作目=小麦、大豆、水稲、ソバ)

これらの言葉を伊藤氏は「100%応援のメッセージ」と受け止めつつ、心中には割り切れなさも残ったという。

「みんなの言う通りだと思う。けれども、それだけでは現状を是認したことにならないだろうか。今のままでは、事実上、農地の貸借でしか規模拡大はできない。地権者の権利は変わらず強く、貸しはがしは、いつどこででも起きうる。この状況は一体いつまで続くのか」

農政局が調整に動き出すも市・農協は二の足

コメ・大豆などについての品目横断的経営安定対策の加入申請手続きが、4月2日から始まる。その日を目前に、現場レベルでは、伊藤氏と集落営農組織との調整に向けて、下地作りが続いている。

先行して動いていたのは岩手県だったが、「農相発言」の意外な余波なのか、東北農政局も岩手農政事務所を介して、県などと連携をとり始めた。 「認定農業者を育成する義務が行政にはある。安定していた伊藤氏の経営が悪くなるようなことはあってはならないし、これ以上、状況を悪化させない手立てをとる」(同農政局経営課)

伊藤氏は農政事務所に、貸しはがしが起きる前の状態に戻してほしい、それがどうしても不可能な場合は、代替地を斡旋してほしいなどと要望した。

これを受けて同事務所は、県・市・市農業委員会・北上市農協と相談し、話し合いの場を設けると確約した。3月第3週を目途に、関係機関がそろって伊藤氏から事情を聴取する予定が立てられ、その際は、組織側のメンバーに出席を求める方針も示されていた。

ところが、この期に及んで関係機関の足並みがまだそろわない。関係者によると、市と農協が伊藤氏との面談に二の足を踏んでおり、理由は「伊藤氏に納得してもらえる支援策が見つからないため」だという。

県担当者は「まずは話を聴き、解決の糸口をつかむべき」と話すが、市・農協の動きは相変わらず鈍く、話し合いが予定されていた第3週は虚しく過ぎた。

春に向けて、伊藤氏はシイタケの菌床をハウスに搬入する作業に取り掛かった。彼岸を過ぎれば、種籾の選別が始まる。事態の推移をつかみきれないまま、農作業が本格化する時期を迎えようとしている。

農林水産省の相談窓口