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特別掲載:集落営農の犠牲者
岩手県北上市で起こっている「貸しはがし」事件記 連載第2回
岩手県北上市の農業経営者、伊藤栄喜氏(59)が巻き込まれた貸しはがしトラブルは、伊藤氏と北藤根地区の集落営農組織側の間で、こう着状態が続く。話し合いは一度持たれたものの、入り口論で意見がかみ合わなかった。組織化を急ぐ地権者の動きに対し、近隣や集落内からは、「むら壊し」を心配する声も上がっている。制度が引き起こした認定農業者と集落営農の利害衝突、そして集落の力学がさらなる犠牲者を生み出しかねない状況を、農政は座視し続けるのか。(秋山基+本誌特別取材班)
担い手の自負なき集落営農10月20日夜、組織側の呼びかけに伊藤氏が応じる形で、両者が初めて正式に会談した。組織側は代表者(建設会社経営)、元議員、現職市幹部(元農政課長)ら役員クラス6人が出席。事務局長を務める北上市農協組合長は欠席した。
伊藤氏によると、組織側は冒頭、「お互いの考え方に相違がある」などと切り出し、「水稲だけでは利益が出ない」「(伊藤氏に)組織に入ってもらい、機械を有効活用したい」と述べたという。
これに対し、伊藤氏は「貸しはがしの動きが起きている以上、集落営農ありき.の議論はできない」と反論。組織側の収支見通しが甘い点を指摘し、「今後の話し合いは行政など第三者が同席する形をとるべき」と伝えた。
貸しはがしか、作業受委託の契約切れかについて、両者の認識は食い違ったままだった。
組織の代表者は、筆者の取材に対しても「(伊藤氏に)組織に入ってほしい。リーダーになってもらいたい」と語っている。
しかし、先月号でもふれた通り、組織は水稲の作業受託組織を母体とし、水稲面積だけで20ha以上と、すでに集落営農の要件を満たしている。それなのに、コメだけでは利益が出ないから、伊藤氏の技術と機械で転作もしたい、リーダーになってくれないなら、土地を戻してほしいと言う。この理屈に筋は通っているだろうか。
品目横断的経営安定対策は「意欲と能力のある担い手」を対象としている。組織側にも「地域農業を守りたい」との信念.はあるのだろうが、肝心の経営面で人任せの姿勢を露呈している。国民の理解を得るためにこそ、施策が担い手に集中化・重点化されることを組織側は理解しているのだろうか。
転作助成頼りの甘い算段
当初、組織側は大豆(10ha)を自前で転作した場合の利益を約300万円、そのための機械投資を約1900万円と見込んだ試算を岩手県に示していた。
北上市では、大豆の転作をすると、産地づくり交付金の基本部分7000円(10aあたり、以下同)が地権者に、担い手加算3万4000円が実耕作者の担い手に支払われる。地権者が畦畔保持に協力した場合は、担い手加算から3000円が配分される。つまり現状では、地権者1万円、担い手3万1000円がそれぞれの取り分となる。
組織側が大豆作で見込む利益約300万円は、担い手加算の金額10ha分とほぼ一致する。収量・品質が悪くても、産地づくり交付金を頼ればいいという甘い算段がこの数字からは透けて見える。
県の担い手対策担当者はこう危惧する。
「産地づくり交付金がいつまで続くかは分からない。仮に交付金を転作用の機械投資に当てたとしても、お金は農機具店に回るだけで、地域に残らない。組織は投資額の2分の1を補助金でまかなえば黒字になると踏んでいるようだが……」
機械投資をすれば、構成員は組織立ち上げと同時に借金を抱え込むことになる。けれども、組織の事務局長である農協組合長は「借金スタートはどこの集落営農でも同じ。地区の全面積をカバーする態勢を整備し、利益を上げて構成員に配当する」と意に介さない。
現在、組織側の依頼を受けて、県広域振興局と普及センターが試算の見直しを進めている。北上市の動きは相変わらず鈍く、調整に動く気配すらない。
この間に、組織は機械を購入せずに、転作の作業だけを外部委託する方法も模索し始めた。内々に伊藤氏に提示された料金は、農業委員会が設定する標準の約2割引。まるで機械を所有する農家をボランティアか作男と見なすかのような値段だ。
伊藤氏は受ける構えを見せず、「燃料が高騰している実状に見合っていない。この額だと、地域の料金体系に無用の混乱を引き起こしかねない」と警戒する。
取り込まれる構成員の将来は
北藤根地区に隣接する後藤地区で水稲約19haを経営する菊池顕裕氏は、今回の貸しはがしトラブルの推移を注視する一人だ。「組織側は集落の農地を守るためと言うが、制度の内容を把握せずに組織化だけが議論されている。冷静さが足りないのではないか」と心配そうに話す。
菊池氏自身も集落営農の有効性についてかなり調べてみたと言う。その見方は極めて厳しい。
「参加メリットはほとんどない。法人化すれば、いずれ消費税も課税される。単に面積を拡げたからといって収支がよくなるものではなく、栽培ノウハウもないのに転作で利益が上がるというのは幻想だと思う」
北藤根や後藤を含む地域では、認定農業者が先行して規模拡大を図ってきた。そのため、最近まで農協関係者も「この辺りは集落営農を立ち上げる下地がない」と話していた。菊池氏も「今後は担い手の責任が重くなる。地域の余った農地を頼まれれば、引き受けるのが当然」と覚悟を決めていた。ところが北藤根で集落営農の計画が持ち上がると、農協の態度は「組織化優先」に一変した。
急ブレーキと急アクセルを同時に踏むような豹変ぶりに、菊池氏は戸惑うばかりだ。
「なるべく設備投資を抑えて低コストで乗り切るのが、これからの農業であって、集落営農は明らかに逆行している。兼業農家を批判したくはないが、我々とは経営に対する意識が違いすぎる。組織がこれから直面する現実と、取り込まれる構成員の将来を考えると恐ろしくなる」
集落営農の犠牲者は伊藤氏だけではない。生煮えの改革.を誤解、曲解したまま踊らされる人たち、集落の人間関係や力学に抗えず、組織化に従わざるをえない人たちも、この制度が生んだ犠牲者になりうる。
そして「むら壊し」が始まる
筆者は北藤根地区で集落営農組織に加入していない兼業農家A氏からも意見を聴いた。
A氏は集落営農を真っ向から否定はしない。「米価が下がり続ける中、コメの兼業農家は将来に不安を感じている」と話し、「集落営農は一つの方向性だろう」と語る。
ただし、組織を立ち上げるからには、伊藤氏のような「専業農家の過去の努力や実績も尊重すべき」と慎重なのがA氏の見方だ。
「従来は専業と兼業がお互い良い関係を築いてきたのだし、組織が無理に土地を返してもらったとしても、それに見合った利益が生み出せるのか疑問だ。担い手との関係を悪くしてまで組織化を推し進める意味があるのだろうか」
A氏には今の集落の状況が、「国の新たな制度によって、認定農業者と集落営農がケンカさせられている」ように映る。
「両者が感情的に突っ走れば、後で解決してもしこりが残る。国は地域が壊れてしまってもいいと考えているのか」
現時点での集計では、伊藤氏の経営に絡んで起きつつある貸しはがしの面積は、水稲の借地と転作の作業受託を合わせた計約6.8haと推定される。
「6.8」という幅には理由がある。伊藤氏は、転作の上物を自分名義で販売しており、機械を動かすだけの作業受託をしない。「豊作・不作にかかわりなく作業料金が入ってくる仕事はしたくない」という理念を貫いてきたのと、集落内の棲み分けに配慮してきたためだ。
北藤根には水稲専門に作業受託をこなす複数の専業農家がいる。彼らもまた機械化する努力によって、集落のコメ作りを支えてきた。そうした水稲受託農家の転作を伊藤氏は引き受けることで、いわば専業農家同士で各々の役割分担を図ってきた。けれども組織の設立に伴って水稲受託農家の仕事が減れば、彼らは転作を伊藤氏に委託していられなくなる可能性がある。その場合、貸しはがしのドミノ現象が起き、伊藤氏の被害は8haに拡大する。
「皆が自分の経営を守ろうと走り出すかもしれない。その心情は私も理解できる。だけど、そうなると、むら.は完全に壊れる」
集落営農ではなく、集落の営農をどう考えるか。その議論こそ優先されるべきだと伊藤氏は考える。
根本原因は農水省の二重基準
伊藤氏の事例は、新たな政策の実施が決まり、北藤根地区で集落営農が準備されなければ起きなかった。最悪の場合、経営耕地面積の3分の1近くを失いかねない事態となっており、それゆえ本誌と筆者は「貸しはがし」だと報じてきた。
一方、集落営農組織側は、作業受委託の契約期限切れを理由に「貸しはがしには当たらない」と主張する。では、なぜ貸しはがしの定義が存在しないのか。
そもそも「品目横断的経営安定対策のポイント」(雪だるまパンフ)で、「貸しはがし」という用語を明示的に使ったのは農水省だ。被害者・加害者を想起させるような言葉を用いて注意喚起しても、定義がなくては防止措置がとれない。
トラブルが起きた際に、相談を受けて調整・解決を図る方策が用意されていないのも、怠慢のそしりを免れない。「地域の関係者間で十分に話し合いを行うこと」(同パンフ)と指導するだけでは、地域への丸投げにすぎず、効果に限界がある。現に北藤根の組織には、市の有力者がずらりと名を連ねているのだ。
もう一つの疑問は、認定農業者と集落営農の位置づけだ。これまで農水省は、政策支援の対象としては認定農業者を「基本」とし、集落営農「についても」対象とするなどと説明してきた。
本誌先月号でも松岡利勝農水大臣自らがこう述べている。
「農水省としては、認定農家にしっかり頑張ってもらって、それでなおかつカバーできないところを集落営農で、という考え方ですからね。ですので、認定農家の方の経営が成り立たなくさせることは、意図してるところではない」
ところが大臣は同じインタビューの中で、「認定農家と集落営農を、日本の農業の、いわば車の両輪としてやっていこう、と思っている」とも発言している。
一方で認定農業者を「基本」と位置付けつつ、他方では認定農業者と集落営農をあたかも同列のように扱う。こうした二重基準とその使い分けが、認定農業者と集落営農の不毛な対立、ひいては貸しはがしを引き起こす根本原因ではないのか。
これらの疑問点について、本誌は11月13日、編集長名で農水省宛に10項目の質問状を出した。同省は公式回答を確約したので、次号で詳しく検討したい。
11月4日、北藤根の集落営農に加入予定の4人から、伊藤氏宅に文書が届いた。「今後の転作契約は、播種済みの小麦についてのみ期間を来年8月まで延長する」との内容の通告状だった。
皮肉と言うべきか、およそ1週間後の12日、北上市農協主催の品評会で、伊藤夫婦が妻名義で出した菌床シイタケが優等賞を受賞した。その栄誉をたたえた賞状には、農協組合長の名前が黒々と書かれている。